2005年03月10日

仏滅の納車

 新車の納車日は仏滅でした。車屋さんからそれを注意されたときに、今時、そんなことにこだわる人がいるのかとおかしくなり、それでも良いですが、そちらの方が気になされるのでしょうかと聞き返してしまいました。
 そう言えば、昔、スキーを売っていた時、お客さんの親御さんがやってこられて、金額をまけてくれと言ってこられたことがあります。ビンディングの穴開けもすんでいるから、そりゃ困りますとお答えしたら、その4万2千円の金額の42の並びがいけないとのこと。ほんの少しでも良いから金額を変えてくれ、その代わり即金で払うし、なんだったら高くなってもよいと仰る。上司に相談したら、その気持ちは分かるなぁと言って、1円安くして伝票を切りなおせという指示がでたことがありました。
 こだわる人はこだわるのだなと思いつつ、普段はクールな上司がそのように応えたのが非常に面白かったのを覚えております。何か、人間と言うものを見たという感じで楽しかったです。
 そう言えば、車のナンバーは下2桁が42と49がありません。ですから、1〜9999のうち、42、49、142、149…9942、9949の200種類のナンバー・プレートは存在しないわけですが、これもそう言うこだわりと言うか、人間のすることなのだなと楽しくなります。もっとも、上2桁の42、49はOKで、4219(死に行く)なんてナンバーの車に乗っていた人を知っておりますので、何もかも絶対と言うわけでもないようです。また、選択性ナンバーが導入されてから、4649、おそらくは「よろしく」と読ますのだろうと思うのですが、そういうナンバーの車に出遭った事もあります。
 しかし、仏滅とか大安だとか言うのは、歴史が浅いが故に残ったものなのだそうです。もっとも、歴史が浅いと申しましても、中国で出来上がったのはかなり古いようですし、日本には鎌倉時代あたりには入ってきているようです(この時の名称は現在とは随分と異なっており、小吉、空亡、大安、留連、速喜、赤口となっております)。にもかかわらず、歴史が浅いと申しましたのは、これが民間に知られるようになったのは比較的近年のことであるからです。しかも、それは秘術であったから民間に伝承されなかったなどと言う物々しいものではなく、吉凶占いとして認知されていなかったからだと言われます。
 暦注と申しますが、暦に吉凶、禁忌を書き込むのは今に限ったものではなく、昔はもっとたくさんの種類があったようです。平安時代などはもうガチガチに縛られており、「源氏物語」などでも、今日は宮中から帰る方角が悪いからこの方角に進んで一泊し、それから帰宅しようとか、明日からは風呂に入れない日が続くのにとかタブーだらけです。これが江戸時代になると人心を惑わすものとして禁令が出されるようになります。しかし、人の心と言うものは、このような暦注がないとさびしいらしく、新たなものが次々と生まれ、その度に禁令が出されます。うち、文化年間(1804-17)頃から民間の暦に書き始められたのが現在の六曜、すなわち仏滅とか大安とか言うものです。
 この六曜は先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の6つを繰り返すだけの単純なもので、各月一日はそのどれかが配当される決まりになっておりました。たとえば旧暦八月一日には大安が配当されておりますので、仲秋の名月、すなわち八月十五日は必ず仏滅になると言うようなものです。このような単純なものでありますから、吉凶よりはむしろ曜日のような感覚で使用されていたようで、西洋から日月火水木金土と言う曜日と言うものが導入されると、これを七曜と呼んだのは六曜があったからではないかと思っております。
 そのようなものであった事、暦注としては日が浅く、それから約半世紀の後には幕府がなくなった事もあってでしょうが、六曜は暦の上に記されるようになります。明治になってからも暦注を禁止する布告は出ているようですが、ま、これくらいはよろしいでしょうという事で六曜は大目に見られます。しかし、この時点では六曜で吉凶を定めるなどと言う事はしていないようです。実は、これが持て囃されるようになったのは戦後で、そのようになった原因は旧暦が使用されなくなったからではないかと思っております。
 今年、2005年の旧正月は新暦2月9日(以下、新暦は算用数字で表記します)でした。したがいまして、今日、3月10日は旧暦の二月一日、昨日までは一月であったわけです。これは立春近くの新月の日を一月一日とするからでありますが、このように通常は1ヶ月、場合によっては昨日までのように2ヶ月ずれます。しかし、戦前の人々は政府の方針にも関わらず旧暦で生活している人が多かったようで、このような事は周知の事であったようであります。
 これが敗戦後は新暦にほぼ切り替わったため、六曜は非常に分かりにくくなります。たとえば本日は友引で、昨日は大安です。これは旧暦使用者にとって二月になったのだから友引になったのだなぐらいの感じじゃないかと思っております。多分、先週の木曜日は3月3日だなと新暦使用者が思うぐらいの感覚でしょう。しかし、新暦使用者で今日が六曜の何の日かぱっと答えられる人はそうはいないと思います。
 分かりにくいもの。分からないもの。これは神秘性を生みます。
 サー・アーサー・コナン・ドイルと言う人がおります。言うまでもなくシャーロック・ホームズの作者です(人によっては違う事を仰られる方もいそうですが…)。この高名なる作家にして医者は、晩年、心霊術に非常な関心を寄せます。そのきっかけとなったのは、一人の女性が隣室に縛られておりながら、ピアノを弾いてみせます。そして、ピアノを弾いたのは心霊であると申したそうです。晩年の告白によると、彼女は足を使って縄をほどいたらしいですが(足で引いたのだったかな)、すべての女性は美人であるという徹底的なロマンチストで、机の脚さえ人目に触れさすのもけしからんと言うヴィクトリア王朝の紳士であったドイルにとって、そのような事は考え付く事すらできませんでした。したがって、誰かが、いや、あの人は足で縄をほどいたのさとドイルに申したとしても彼は絶対に信じようとしなかったでしょう。もし、その女性の名誉のためにその誰かに対して決闘を申し込んだとしても、大いにありえると思うぐらいです。
 ドイルは完璧にその女性を信じます。そして、随分と財産を心霊術につぎ込んだらしいですが、その原因は彼の知性にあったと思います。作家としても医師としても高度な知性を持っていたドイルは、自分がいくら考えても分からないのだから、これは超自然現象に違いないと思ったわけです。ある意味、彼の知性の高さ、道徳性の高さ、そして自身の知性に対する自惚れにも似た自信の高さ、それがペテンに引っかかった原因でしょう。そして、もっと簡単に言えば、ドイルが単純だったからです。
 もちろん、私はここで大安だとか仏滅だとかを気にされる方を単純だと壟断しているわけではありません。なぜなら、大安だとか仏滅だとかを気にはされている方が、それを完全に信じているとは思えないからです。友引に葬式をしたから、結婚式が大安でなかったから、あるいは納車が仏滅だったから、スキー板の代金が4万2千円であったから、何か不幸が起こる。どこか、そんな馬鹿なことがあるか、と思っておられるのではないかと思うからです。気にするという事は信じるという事と似ておりますが、全然、違うものです。そして、そういう事を馬鹿にしながら、しかし、どこか気になる。そういう部分がいとおしいと思うのです。それは、やはり、一つの文化だと思います。

posted by hush at 19:30| 京都 曇り| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月03日

Altezza

 車を買い換えました。前の車がまだ28万3千kmしか走っていなかったのですが(月まで行く予定だったのに)、サスペンション周りがおかしくなったので、仕方なく。とは言え、通勤距離も30kmオーヴァーから5kmと短くなったので思い切って趣味の車に。
 もっとも、おっさんの乗る車ですからどこまでも地味目であること。そそり立つウイングや巨大なエア・インテイクなんて恥ずかしいからやめたいけれど、そこそこスタイリッシュでありたい。マニュアル・シフト、フェンダー・ミラーにこだわってきたから、後者は現代のスラントのきつい車のデザインでは無理だとしても、オートマチックなんて乗りたくない。5速は最低条件で、できたら6速が欲しい。FFよりもFRのほうがいいななんて時代錯誤な事を考えていったら1車種しか残りませんでした。
 と言うわけで、またトヨタ。最初に乗ったカローラが良かったし、このスプリンターもディーゼル・エンジンだとは言え、リッター16km。だから、いい車を作るとは思うのだが、面白みがない。よく言えば、堅実。それは認めるが、車と言うのも半分は実用性だろうが、半分は趣味なのだから、遊び心がもう少し欲しい。
 ですから、今度の車も堅実。一応、スポーツ・タイプで、この車だけのレースもやっているのですが、堅実。だいたいスポーツ・タイプで4ドアと言うのが珍しい。もっとも、欲しかったのはレギュラー・ガソリンのタイプなので、格好だけのものですが。
 2月は、どこまで安くするのかなといろんなディーラーをまわっていました。だいたい20万引きぐらいとのこと。決算時期であり、今年、この車は新しく立ち上げるレクサス店に行く事が決定しているのだから、モデル・チェンジ間違いなし。もっとも、在庫を持つような車じゃないから、これぐらいが相場だろうと思って雑誌を読んでいると、値引きの最高が25万とのこと。じゃ、その最高額までいけないかなと思って、隣の愛知県まで行ってみる。そうすると、いくらなら買われますかと言うので、30万引きと言ってみたところ、すんなり。
 と言うわけで、ナンバーは三重だが、販売店のステッカーはNagoyaと言う車になったのですが、高速を使ってちゃんと勤め先まで持ってきてくれました。それが昨日。新車が嬉しいというより12年間親しんだ車と別れるほうが辛かったのですが、この辺りは分からない人には分からないだろうな。
 しかし、新車と言うのは嬉しい反面、いやなものです。何よりも匂いがきつい。家に帰り着く頃には頭が痛くなる。それに、ぶつけたら嫌だと思うのに、車体感覚が思いっきり違う。しかも、パワー・ステアリングには慣れていないし、窓の開閉すら機械仕掛けである。無茶苦茶、肩が凝る。いっそ、どこかで擦り傷をこしらえて来たほうが気楽に乗れていいと思う。
 そんな罰当たりな事ばかり考えているが、10年は乗るつもりでいるので、運転するのが楽しくなるように早く慣れたいと思う。
SandA.JPG
posted by hush at 18:42| 京都 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月27日

£10万

 検索をかけてみると、1オンス(31g)の金は3ポンド17シリング10ペンス半で兌換されると言う固定相場だったそうです。当時は1ポンド=20シリング=240ペンス(現在は1ポンド=100ペンス)ですので1オンスは3x240+17x12+10.5=720+204+10.5=934.5ペンスとなり、グラム当たり約30ペンスとなります。25日の金の終値が1グラム1590円ですので、当時のポンドは1590x30/934.5=49528.5円と言うことになるので、10万ポンドは約50億円…金持ちだ。
posted by hush at 21:48| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

献金

 そう言えば、有名なエセックスも、初代はマサチューセッツ州エセックス郡の住民が献金した事により命名されている。これが活躍した事により、後に空母や強襲揚陸艦の艦名となるのだが、この初代は32門艦だからそう小さくはない。
 もっと大きいのでは、クィーン・エリザベス級の戦艦マレーヤがそうである。イギリス本国の予算不足から1隻諦めたのを、当時のイギリス領マレーからの献金により建造できた事を記念したものだそうだ。探せば他にもあると思う。
 阿川弘之か誰かの小説に、富豪の奥さんがいくら献金したら長門を造れますかと聞いたのに対して、全力で走らせて貰ったらお宅の財産がなくなりますよと答えたと言う話が載っていた。かにかくに、軍艦と言うものは金がかかるものだが、個人で軍艦の購入資金を出した人がいる。さすがに全額ではなく1/3であるが、れっきとした装甲巡洋艦である。なんだ戦艦じゃないのかと言われる方もいるかもしれないが、この手の高速艦は機関出力が大きいのと船体が長いので、戦艦より金額がはる場合がある。
 この人物はギリシャの大富豪で、アヴェロフと言う人である。この装甲巡洋艦の購入金額は30万ポンドだそうだから、1/3で10万ポンドである。当時のポンドは金本位制だから調べたら現在の貨幣価値でいくらぐらいかは分かると思うのだが、ともかく大金である。当然、アヴェロフと名付けられたこの艦は1911年に竣工するとバルカン戦争、第1次世界大戦に参加、さらには第2次世界大戦にも参加している。1946年に除籍されたが、記念艦として残され、現在もアテネの外港であるピレウスの兵学校に残っている。艦齢90年以上、装甲巡洋艦で現存する唯一の艦である。
 なお、アヴェロフは1896年の第1回オリンピックでも主競技場を寄付しているそうだ。オナシスなんて言う人もいたが、ギリシャの金持ちは途方もないのがいる。

posted by hush at 11:24| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月25日

 「榎本武揚から世界史が見える」

 そういう表題の本(2005年PHP新書)を読んでいたら、プロイセンのスクーナー型帆船フラウエンロブについて、この艦名は「女性礼賛」を意味し、フランクフルト国民会議が艦隊整備の必要性を訴えた時に多くの女性達の献金によって建造された事から命名されたと書いてあった。
 なぜ、そんな事がこの本に書いてあるかと言うと、幕末の日本にやってきたプロイセン軍艦4隻のうちの1隻だからだが、95tの小型船(この頃のトン数の定義が今と同じかどうかは不明だが、全長わずか32m)ではるばると航海して来たのだから大したものである。
 ただ、9ヶ月かけてはるばるとやってきたのは良いが、日本到着の2日前に台風に遭遇し下田沖で沈没した。
 この艦名は帝政ドイツの小型巡洋艦に受け継がれたが、ユトランド沖海戦でイギリス艦と交戦して沈没した(この時の乗員の一人にアントン・シュミットと言う人がいる)。その後、この艦を記念して同名の小型巡洋艦を起工したが、敗戦により建造を中断された。
 その後、1966年に西ドイツ海軍が掃海艇の名前として復活させた。巡洋艦に較べると随分小さくなったものだが、先祖帰りをしたと思えば良いのかも知れない。もしかしたら、1940年に沈没したナチス・ドイツの掃海艇M534にこの名が付いていたとするのがあるので、そちらからかも知れないが。
posted by hush at 23:12| 京都 曇り| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

hushさんのブログ

 某サイトの薀蓄話を読んでいたら、発作的にこう言うのをやりたくなった。
 いつまで続くのかなぁ
posted by hush at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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