2005年02月27日
£10万
検索をかけてみると、1オンス(31g)の金は3ポンド17シリング10ペンス半で兌換されると言う固定相場だったそうです。当時は1ポンド=20シリング=240ペンス(現在は1ポンド=100ペンス)ですので1オンスは3x240+17x12+10.5=720+204+10.5=934.5ペンスとなり、グラム当たり約30ペンスとなります。25日の金の終値が1グラム1590円ですので、当時のポンドは1590x30/934.5=49528.5円と言うことになるので、10万ポンドは約50億円…金持ちだ。
献金
そう言えば、有名なエセックスも、初代はマサチューセッツ州エセックス郡の住民が献金した事により命名されている。これが活躍した事により、後に空母や強襲揚陸艦の艦名となるのだが、この初代は32門艦だからそう小さくはない。
もっと大きいのでは、クィーン・エリザベス級の戦艦マレーヤがそうである。イギリス本国の予算不足から1隻諦めたのを、当時のイギリス領マレーからの献金により建造できた事を記念したものだそうだ。探せば他にもあると思う。
阿川弘之か誰かの小説に、富豪の奥さんがいくら献金したら長門を造れますかと聞いたのに対して、全力で走らせて貰ったらお宅の財産がなくなりますよと答えたと言う話が載っていた。かにかくに、軍艦と言うものは金がかかるものだが、個人で軍艦の購入資金を出した人がいる。さすがに全額ではなく1/3であるが、れっきとした装甲巡洋艦である。なんだ戦艦じゃないのかと言われる方もいるかもしれないが、この手の高速艦は機関出力が大きいのと船体が長いので、戦艦より金額がはる場合がある。
この人物はギリシャの大富豪で、アヴェロフと言う人である。この装甲巡洋艦の購入金額は30万ポンドだそうだから、1/3で10万ポンドである。当時のポンドは金本位制だから調べたら現在の貨幣価値でいくらぐらいかは分かると思うのだが、ともかく大金である。当然、アヴェロフと名付けられたこの艦は1911年に竣工するとバルカン戦争、第1次世界大戦に参加、さらには第2次世界大戦にも参加している。1946年に除籍されたが、記念艦として残され、現在もアテネの外港であるピレウスの兵学校に残っている。艦齢90年以上、装甲巡洋艦で現存する唯一の艦である。
なお、アヴェロフは1896年の第1回オリンピックでも主競技場を寄付しているそうだ。オナシスなんて言う人もいたが、ギリシャの金持ちは途方もないのがいる。
もっと大きいのでは、クィーン・エリザベス級の戦艦マレーヤがそうである。イギリス本国の予算不足から1隻諦めたのを、当時のイギリス領マレーからの献金により建造できた事を記念したものだそうだ。探せば他にもあると思う。
阿川弘之か誰かの小説に、富豪の奥さんがいくら献金したら長門を造れますかと聞いたのに対して、全力で走らせて貰ったらお宅の財産がなくなりますよと答えたと言う話が載っていた。かにかくに、軍艦と言うものは金がかかるものだが、個人で軍艦の購入資金を出した人がいる。さすがに全額ではなく1/3であるが、れっきとした装甲巡洋艦である。なんだ戦艦じゃないのかと言われる方もいるかもしれないが、この手の高速艦は機関出力が大きいのと船体が長いので、戦艦より金額がはる場合がある。
この人物はギリシャの大富豪で、アヴェロフと言う人である。この装甲巡洋艦の購入金額は30万ポンドだそうだから、1/3で10万ポンドである。当時のポンドは金本位制だから調べたら現在の貨幣価値でいくらぐらいかは分かると思うのだが、ともかく大金である。当然、アヴェロフと名付けられたこの艦は1911年に竣工するとバルカン戦争、第1次世界大戦に参加、さらには第2次世界大戦にも参加している。1946年に除籍されたが、記念艦として残され、現在もアテネの外港であるピレウスの兵学校に残っている。艦齢90年以上、装甲巡洋艦で現存する唯一の艦である。
なお、アヴェロフは1896年の第1回オリンピックでも主競技場を寄付しているそうだ。オナシスなんて言う人もいたが、ギリシャの金持ちは途方もないのがいる。
2005年02月25日
「榎本武揚から世界史が見える」
そういう表題の本(2005年PHP新書)を読んでいたら、プロイセンのスクーナー型帆船フラウエンロブについて、この艦名は「女性礼賛」を意味し、フランクフルト国民会議が艦隊整備の必要性を訴えた時に多くの女性達の献金によって建造された事から命名されたと書いてあった。
なぜ、そんな事がこの本に書いてあるかと言うと、幕末の日本にやってきたプロイセン軍艦4隻のうちの1隻だからだが、95tの小型船(この頃のトン数の定義が今と同じかどうかは不明だが、全長わずか32m)ではるばると航海して来たのだから大したものである。
ただ、9ヶ月かけてはるばるとやってきたのは良いが、日本到着の2日前に台風に遭遇し下田沖で沈没した。
この艦名は帝政ドイツの小型巡洋艦に受け継がれたが、ユトランド沖海戦でイギリス艦と交戦して沈没した(この時の乗員の一人にアントン・シュミットと言う人がいる)。その後、この艦を記念して同名の小型巡洋艦を起工したが、敗戦により建造を中断された。
その後、1966年に西ドイツ海軍が掃海艇の名前として復活させた。巡洋艦に較べると随分小さくなったものだが、先祖帰りをしたと思えば良いのかも知れない。もしかしたら、1940年に沈没したナチス・ドイツの掃海艇M534にこの名が付いていたとするのがあるので、そちらからかも知れないが。
なぜ、そんな事がこの本に書いてあるかと言うと、幕末の日本にやってきたプロイセン軍艦4隻のうちの1隻だからだが、95tの小型船(この頃のトン数の定義が今と同じかどうかは不明だが、全長わずか32m)ではるばると航海して来たのだから大したものである。
ただ、9ヶ月かけてはるばるとやってきたのは良いが、日本到着の2日前に台風に遭遇し下田沖で沈没した。
この艦名は帝政ドイツの小型巡洋艦に受け継がれたが、ユトランド沖海戦でイギリス艦と交戦して沈没した(この時の乗員の一人にアントン・シュミットと言う人がいる)。その後、この艦を記念して同名の小型巡洋艦を起工したが、敗戦により建造を中断された。
その後、1966年に西ドイツ海軍が掃海艇の名前として復活させた。巡洋艦に較べると随分小さくなったものだが、先祖帰りをしたと思えば良いのかも知れない。もしかしたら、1940年に沈没したナチス・ドイツの掃海艇M534にこの名が付いていたとするのがあるので、そちらからかも知れないが。
hushさんのブログ
某サイトの薀蓄話を読んでいたら、発作的にこう言うのをやりたくなった。
いつまで続くのかなぁ
いつまで続くのかなぁ

